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旅行でのトラブル

 

 これまで旅行で多くのトラブルを体験してきた代表的なものを以下に列挙する。

網棚への荷物の忘れもの


 最初のトラブルは小学校5年生で初めて祖父母の家に一人で行った時に、お土産を列車の網棚に置き忘れてきたことである。これは、一緒に乗り合わせたお姉さんが次の駅で駅員に言付けてくれたので、後日祖父母のもとへたどり着いた。まあ、忘れ物の類は以後もいろいろやってしまった。カメラバッグを忘れたり、晩飯に食べようと思っていた駅弁を忘れたり。書き出したらきりがない。

YHでの現金と駅でのカメラの盗難


 次は大学生の時で、YHで現金を盗まれたことと、カメラを盗まれたことで、同じ旅行で2回の盗難にあった。YHの件はYHから警察に被害届を出すように言われたので、警察署で現金が盗まれたことを伝えると、取調室に連れて行かれて、詳細を聴取された。取調室は窓が上に小さなものがあるだけの、狭い部屋で、ここで怖いおまわりさんから「お前がやったんだろう、吐いてしまえ!」なんていわれると反論できないだろうなと思った。

 カメラを盗まれた時は、場所が駅だったので、当時の鉄道公安室に被害届を出した。こちらも詳細の聴取を受けたが、窓の大きな明るい部屋だった。


 結局どちらも戻ってきた。YHは保険で、カメラは「現物が見つかった」と電話がかかってきた。若い女が高価なものと思って、私が待合室で仮眠を取っている間に空いてる鞄から持って行ったらしい。

 保険金は口座に振り込んでもらったが、カメラは取りに行かねばならない。わざわざ行ったら「裁判所に証拠品としていっているのでここにはない」と言われ呆然としていたら、すぐ、「裁判所から戻ってきてました。」と受け取ることが出来た。危ないところだった。

中国でパスポートの忘れもの


 次は、中国旅行でなんとパスポートを紛失した。それに気づいたのは、当初滞在していた上海を出る晩のことだった。上海駅で、北京近辺の大雪で列車が遅れに遅れ、どうなることかと思って、周りの人に筆談で話をしたら、「お前はパスポートを持って国営旅行案内所に行け。」と言われ、それでパスポートを探したらないのである。

 当時中国では、ホテルに宿泊するのに身分証明書が必須で、外国人はパスポートを持ってないと、ホテルに泊めてもらえない。さすがにあわてて、国営旅行案内所に行って日本語の分かる係員に確認すると、「とりあえずこれまで泊まっていたホテルにもどれ」と言われた。

 すぐにホテルに行って、事情を説明すると、パスポートなしでも泊めてくれた。乗ろうとしていた列車は西域へ行く列車だったから、遅れてなかったら、その列車で西域の僻地に着き路頭に迷ったことだろう。考えただけでも空恐ろしく体が震えた。翌朝から、パスポート探しと日本総領事館に対処法を聞きに行った。

 日本総領事館では、パスポートがないのでなかなか入れてもらえなかったが、なんとか粘って入れてもらった。対応してくれた人は、横柄な態度で、「こんなやつがいるからこっちの仕事が増えるんだ。」と言いたげ。大変不快だったが、パスポートを紛失した私が悪いので、下手に出て再入国のための手続きだけは教えてもらった。写真が必要なので、目抜き通りにある写真機店で写真を撮ってもらった。

 パスポート探しでは、公安に行ってパスポートの遺失物が出てないか探してもらったが、何も届出がなかった。他の心当たりは、帰りの船をキャンセルして飛行機に変えたことぐらいだ。そこでまず船の窓口に行ってみた。窓口氏が「おお、こいつだ。」と言った感じで私の顔を指差して見た。私のパスポートはここの金庫に保管されていたのだった。

 パスポートが見つかり、安心して上海を後にしラサまで行きすばらしい体験ができた。一応、上海の総領事館には見つかったと電話しておいたが。  


新婚旅行で妻の航空券とパスポートの名字が異なる


 次は新婚旅行で問題が起った。2つの問題が発生し、1つは出発1か月前に判明した。妻の航空券の名義とパスポートの名義が違うのである。旅行会社には結婚後の姓で申し込んだが、妻のパスポートが名義変更してなくて旧姓のままだった。早く気づいていれば婚姻届を早く出して、名義変更できたのだが、残り1か月ではぎりぎりだった。

 そんな時、旅行好きな先輩に相談すると、その航空会社に知り合いが居るので聞いてみるということになった。

 結果は、私と妻のパスポートのコピーをその航空会社にFAXして、航空券の名 義変更にOKが出た。旅行会社の担当者は、「こんなことはまずないのですが。」と驚いていた。

飛行機の遅れで乗り継ぎ変更


 新婚旅行の航空券とパスポートの名字の違いの問題は片付き、これでなんとかヴィーンに向け出発できたが、ヨーロッパの経由地でウィーン行きに乗り継げなかった。飛行機が遅れたからである。でも、もともと旅程に無理があり、乗り継ぎ時間が40分で、後で聞くと「ありえない数字」だったそうだ。私たちは乗り継げなかったが、荷物は乗り継げて、先にヴィーンに行ってしまった。

 結局、小さなプロペラ機とジェット機を乗り継いで、3時間遅れでヴィーンに着いた。荷物は、ヴィーン・シュベヒアート空港の荷物置き場に放置されていた。無事に荷物を見つけてホッとした。このときもすばらしい思い出が一杯である。

モスクワの霧で飛行機がウィーンに折り返し6時間到着が遅れた


 その次のヨーロッパ旅行では、ヴィーンからの帰り道でトラブルに遭った。

 経由地のモスクワが霧で着陸できず、飛行機がとった手段はヴィーンへ戻ること。往復6時間のロスになった。モスクワ空港で楽しみにしていたキャビアも買えなかった。

 成田に着いたとき当然予約していた乗り継ぎの飛行機はない。ヴィーンからの便の航空会社は乗り継ぎ便の会社の次の羽田便を利用するように説明するが、それに間に合うか分からない。乗り遅れたら2時間後の便でそれでは帰宅時間が深夜になってしまう。間に合わなかった場合でも、ヴィーンからの便の会社の飛行機がもっと早くあるので、それを利用させてもらえるように交渉した。その便には空席が多数あることもあって、なんとかOKをもらえた。

 これも「ありえない話」なので、その担当者の名刺ももらっておいた。ただ、私たちが乗ったバスが順調に羽田に着いたので、本来乗るべき航空会社の便に間に合ったが、今度は空席待ちだった。空席待ちの搭乗券で搭乗口に向かい、名前を呼ばれるのを待った。無事に名前を呼ばれて機内へ。同じ便でヴィーンからきた人も搭乗出来、ガッツポーズをしあった。ぎりぎりセーフでやっと落ち着いた。結局、名刺だけが残った。  

ヴェニスでヴィトンのカバン(お土産用)を盗まれた


 その次のヨーロッパ旅行でも問題が発生した。

 場所はヴェニス。ホテルに置いてあったおみやげの鞄が盗難にあった。これは私の親がヨーロッパ土産に高級ブランドの鞄を所望したものである。おばの分を含めて2つも。しかし、先の訪問先のヴィーンでは転売を防止するため同じ品物を同じ人に2つ売ってくれない。それで次の訪問先のヴェニスで2つ目を購入した。購入して、ホテルにおいて、また出かけて、戻ってくると、買った鞄が無くなっていた。

 ホテルの受付嬢に聞くと、英語ができない人で埒が明かない。私はとりあえず保険会社に連絡しようと公衆電話で電話した。相手はこちらがあわてているのをしっかりわかってくれて、丁寧にやさしく対応してくれた。これで安心した。

 保険会社は警察署に行って「被害証明書」をもらってくれと言う。受付嬢と格闘していたかみさんと警察署に行った。しかし、警察署がどこか分からない。確かにホテルで教えてもらった場所なのだが、見当もつかない。よくよく見ると、小さなそれらしい看板があり、もしやと、看板横の階段を上るとそこが警察署だった。日本の明確な赤色灯のありがたさがよくわかった。

 「鞄が盗まれたので証明書が欲しい」と説明すると相手もよくあることなのか、すぐに証明書の紙を持って来た。驚いたのは、「証明書の中身を自分で書け」と紙を渡されたことである。「日本語でもいいのか?」と聞くと、「いい」と言う。さすがに日本語ではまずかろうと、英語でなんとか書いて渡すと、スタンプを押して渡してくれた。

 結局この紙で保険会社から盗難保険金が下りた。さらに、帰りの空港の税関で、税金還付の紙を出して、「盗まれたんだけど」と言うと、スタンプを押してくれた。それで税金還付も受けて、結果、盗まれた以上の金額が戻ってきた。でも、こんなことはもうごめんだわ。

パリの地下鉄でスリに遭いそうになった


 最後は最愛のパリである。妻と二人で地下鉄の通路を歩いていると、妻の襟元に火のついたタバコを入れられた。妻がすぐに振り払って外に出したのであわてることはなかったが、こちらをじっと見ている子供が二人私たちから数歩先にいた。これはスリだと気づいて、子供たちを威嚇すると、同時にホームに到着した電車から人が一杯あふれ出てきた。子供たちはその人ごみにまぎれて、電車に乗って先に行ってしまった。

 私たちはスリだと気づいて、しばらくホームのベンチに座ってボーっとしていた。危ないところだった。パリの地下鉄には確実にスリがいる。それも、スリを生活の糧としている人間がいるのだ。自分は大丈夫だと思っても、彼らはなれない旅行者を確実に見抜く。

 私はこの出来事で怖くてパリの地下鉄に乗れなくなり、バスによる移動のみで済む様、計画を立てるようにしている。

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 他にも、いろんな失敗があったと思うが、結局、大体の問題は少なくとも金銭的には解決している。外国語が満足に話せない私でも外国でなんとか問題を解決できのは、いろんな人に助けられたおかげだろう。感謝せずにはいられない。