music return

私にとってのオペラ演出

 

 私は、オペラの演出については、私自身がそれを観て楽しむことができたらそれでいいと思っている。


 伝統的な演出でもいいし、現代的な演出でも構わない。どんな時代背景になろうと、簡素な装置であってもいい。面白くて、筋が通り、そしてかつ美しいものであればそれで十分である。


 ただ、嫌なものの基準も存在する。


・新しい視点が感じられないもの
過去の遺産を引き継ぐのもいいけれど、現代で上演するなら、過去にない新しい視点が欲しい。


・筋の通らないもの
本来の物語の本質を壊し、筋を通らなくするもの。やってもいいけれど、少なくとも結末を納得出来るものにしてもらいたい。


・振ったネタをそのままにしたもの
装置や演技、衣装などで、何らかのネタを振っておきながら、最後までその意味が明確にならないもの。ただし、私の不勉強による場合も多々あると思われる。


・美しくないもの
文字通りではあるが、伝統的でも、現代的でも美しくないものは好きではない。


 ところで、現代におけるオペラの演出とは、物語の本質をそれを包んでた伝統的な殻から剥ぎとり、それに新たに別の肉付けをするものだと私は思っている。だから、新たに肉付けされるものが伝統的か現代的か読み替えかどうかは全く問題ではない。肉付けの内容こそが一番の問題なのである。


 しかし、こういう考え方をしているからか、好きな演出家は圧倒的に現代的な演出をする人が多い。


 一番衝撃を受けたのは、ウィリー・デッカー。


 1998年のドレスデンで《軍人たち》を見たときに度肝を抜かれた。ヴィーンで《ルル》を見た時も演奏もさることながら舞台がとても美しく、衝撃的な最後だった。TVで見たザルツブルグ音楽祭の《椿姫》も大変美しく、かつ、強い悲劇性を心に刻んだ。


 この人の演出は単純だが極めて美しい舞台に物語の本質を乗せることにある。単純だが、いや単純だからこそ視覚的に極めて明快である。


 次は、ヘルベルト・ヴェルニケ。


 ミュンヘンの《エレクトラ》しか見たことがないが、こちらも単純明快かつ大規模な仕掛けにびっくりした。コンセプトは単純だが、それを大規模で実現するとこんなにも迫力のあるものになるかと思った。


 今やデッカーは活動を休止し、ヴェルニケは亡くなり、とても残念。


 あと、現代的演出の大御所、ペーター・コンヴィチュニーも好きだ。と言っても、1998年の《タンホイザー》と、同時期に演出し、2008年に日本で上演された《アイーダ》しか知らない。《タンホイザー》は実はよくわからなかったが、《アイーダ》は大変感銘を受けた。極めて小さな箱の中で、大きな世界を作り出している。物語の本質とはこうやって抜き出すものなのだと思った。


 デーヴィッド・パウントニーもヴィーンで《リエンツィ》を見ただけであるが、わざと恥ずかしいような舞台を作って、最後に納得させた。物語の進行と観客への刺激を同期させるしたたかな技を見た。


 素晴らしい演出は、その公演の感激を何倍にも増幅する。これからも私にとってよい演出のオペラを味わいたいものである。(2010.07.01)