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ポンピドゥー・センター

 

 私がパリの街を歩いて一番感激したのは、凱旋門の下に立った時である。凱旋門の広場に立って、シャンゼリゼ通りを見下ろし、その先にあるコンコルド広場、ルーブル美術館までつながる線と、その反対側の道路の先にある新凱旋門とその周辺のビル群を目にした。そのとき、途方もないスケールの都市軸の構成と、これを実現させたパワーに恐怖すら覚えた。


 もちろん頭ではパリの都市計画は「オスマンの都市改造」として知ってはいたものの、その中心に立って、初めてその業績の偉大さを実感できた。


 ヨーロッパの都市には他にも行き、特にヴィーンの城壁撤去環状道路化と、環状道路に沿って大規模施設を配置した整然とした都市は見たことがあるけれど、ここまで壮大な都市計画の実行後の姿に接したのは初めてだった。


 パリは、個々の建物もそうだが、街並みとして極めて美しい。その美しさは建物の調和と高さの一致、街並みの直線と微妙な曲線による構成にあると思う。建物に統一性がないとばらばらに見えるし、街路が直線ばかりだと息苦しい。例えば、プラハは、個々の建物が深い歴史に裏付けられ、その連合体としての途方もないまでの美しさがあるが、混然とした楽しさで歩く人を魅了するのであって、整然とした美しさではない。その点パリは、調和がとれて、整然として、大変美しい。その中に、多少の調和を乱す建物があっても周りの建物に打ち消されてしまう。


 しかし、この調和をあまりにも乱すものがあれば、それは恐ろしいほどの存在感を持つ。それがポンピドゥー・センターである。


 ポストモダン建築として有名なジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センターは整然とした街並みの中に、唐突に出現し、見るものを驚きを通り越して呆然とさせる。これがパリの中心部にあるのか?この異様な建築物のとてつもないインパクトの大きさは、この美しいパリに存在することで引き起こされる。美しい景観が、存在感を増幅させているのである。


 一方、日本ではどうか?都市計画としては、大阪の御堂筋が比較対象になる。ヨーロッパの都市計画を参考としたとされる御堂筋は、直線道路が4kmにわたって続き、その両側に銀杏並木、道路に面する建物も50mに合わせた、日本でも数少ない景観を意識した大規模な都市計画である。


 でも、今は、高さ制限も緩和されて、景観の美しさも失われつつある。さらに、その周辺の開発を含め、都市全体としての面的な美しさはすでに損なわれている。このような中にポンピドゥー・センターのような建物が出現しても、異様な建物であることは間違いないが、パリほどの衝撃があるかは疑問である。


 日本の都市の混沌とした景観はこれからも変わらないだろう。周囲の混沌を拒絶する建築物もあるが、それは決して解ではないと思う。混沌とした都市の中にそこにどれだけの驚きや調和を生み出せるか、ここに建築家の手腕が問われると私は思っている。