秘境
近年、鉄道旅行では、秘境駅がブームである。秘境駅とは、人里離れた場所に駅だけポツンと存在する不思議な場所である。以前は近くに集落があったが今は人がいないとか、列車の交換に必要な駅だからとかの理由なのだが、中には、どうしてこんなところに駅があるのか不思議な場所もあったりする。
私も秘境駅は好きで、飯田線に乗り、小和田駅や中井侍駅で降りて、静かな中で目前を流れる天竜川を見ながらボーっとしたことはとても素敵な思い出である。
また、最近は、その秘境駅に一泊して、闇夜の真の暗闇や静けさを楽しむ人々もいるらしい。私も秘境駅ではないが、駅で寝泊りしたことは何度かある。昔はおおらかで、駅員がいる駅でも、待合室に止めてくれたりしてくれて、この駅は泊めてもらえる、とかの情報が行きかったりしていた。特に北海道の駅は泊めてくれる駅とそうでない駅がはっきりしていたように思う。冬の旅行で室内に泊めてもらえないとそれこそ死活問題である。前もって、そういう情報を持って、旅に出かけていた。
駅に泊めてもらうと、思いがけない待遇を受けることがある。ある駅では、最終列車の終点で、待合室に泊めてもらうようお願いしたら、蚊取り線香を準備してくれた。またある駅では、待合室には泊めてもらえなかったので外のベンチで寝たのだが、朝起きると、駅員さんがお風呂を準備してくれていて、入って行けとおっしゃる。ありがたく風呂に入れてもらったのは言うまでもない。それで、朝一の電車に乗り遅れそうになったが。
さて、秘境の話に戻る。一人旅をしていると、鉄道に限らず思ってもいなかったうれしい体験をすることがある。一番うれしかった体験は、北海道は尾冬という、そのころは秘境中の秘境で、鉄道も通らず、バスも一日数本しかなかった小さな集落で起きた。
灯台まで行くことができず、仕方なく集落や、海の写真を撮りながらぶらぶらしていると雨が降ってきた。ちょうど夕食の時間だったので、目の前にあった定食屋に入り、一番安いカレーを注文した。すると出てきたのは、ウニ、サザエ、イクラの盛り合わせとご飯、味噌汁である。びっくりして、「私はカレーを注文したのですけど」と店の人に言うと、「カレーの値段でいいから、食べていってね。」と中年のご主人が調理場から顔を出しておっしゃる。涙を流しながら飯を食べたのはこれが初めてである。
尾冬は、今は国道が通り、秘境ではなくなった。あの定食屋さんはどうなっただろうか?