ラサへのバス紀行
鉄道好きだった私は、当時大学の春休みに中国に行き、先のことを何も考えず、とりあえず、上海から西寧を経て当時開通したばかりの終点ゴルムドまで鉄道に乗って行った。でも、着いてから、さて、これからどうしようかなと考えた。選択肢は以下の3つ。
1.鉄道でもと来た道を戻る
2.バスでさらに先のラサに行く
3.バスで敦煌に行く
1はゴルムドまで上海から65時間もかかってきたので、もういいたくさん。3の敦煌行きのバスが本数が少なく時間もかかるので、結局、一番面白そうな2を選択しバスでラサに行くことにした。
バスでは標高5300mの峠を越え、30時間ほどの行程になる。当時、ゴルムド~ラサ間には、日本製のバス(ISUZU、MITSUBISHI)を使った会社と中国製のバスを使った会社があった。始め日本製の会社に乗るつもりだったが、オフィスで日本人とわかると外国人は倍の料金だと言われて、外国人料金のない中国製バスの会社にした。日本製バスの会社なら夜は宿泊所泊まりなのだが、中国製バスは夜も走り続けるらしい。
ゴルムドの宿で、ラサから来た人から、標高が高い上に寒くて大変なので、防寒面をしっかり準備するように言われた。そこで、すでに山用のジャケットを着ていたが、さらにその上に人民軍のコート(現地の人はみんな着ていた)を買って着込み、羊皮の防寒帽子を買い、足には分厚い靴下を2枚重ねて、バスに乗り込んだ。
バスは朝8時に出発。満員で立っている人もいて驚いた。昼間は晴れていたので暖かで、景色をのんびり楽しむ余裕もあったた。見渡す限り荒涼とした大地のなか、果てしなく続く上り坂を一生懸命登っていく。だが、中国製バスなので、上るのが大変で、歩くような速度でゆっくり走り途中ゴルムドを12時に出発した日本製バスに追い抜かれた。
途中、何度か誰かが声を上げ、トイレ休憩になった。皆さん道端の草むらで、三々五々、用を足してた。
夜になると一気に寒くなったが、当然、暖房などない。頭の天辺から足の先まで寒くてたまらず、バスもがたがたと大きく揺れるので、ほとんど眠ることができなかった。標高については寒さがあまりに厳しいので、よくわからなかった。5300mの最高地点は、夕方に通過したようだ。
夜が明けて、小さな町に停車した。ここで朝食休憩のようだったが、様子がおかしく、バスが車庫に入ってしまった。どうやら車輪がおかしいようで、交換して出発。ここで、4時間ほどのロス。
再び荒涼な大地を進むが、最後は、谷を降りる急坂を数時間にわたり高速で大きく揺れながら走り続け、開けた大地に出ると遠くにラサのシンボルであるポタ ラ宮が見えてきた。その崇高な姿に感激した。
予定では16時ごろラサに着くはずだった結局着いたのは20時ごろで、外は真っ暗になっていた。到着した喜びで疲れはどこかに行ってしまった。宿の位置が分からず往生したが、現地の人に案内してもらって、何とか外国人用の招待所にたどり着いた。その晩はむさぼるように眠った。