京都市交響楽団第536回定期演奏会 マーラー 交響曲第7番「夜の歌」他:KINUZABU-Music
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京都市交響楽団第536回定期演奏会 1/2

日時
2010年6月19日(土)14:30~16:45
会場
京都コンサートホール
指揮
高関 健
管弦楽
京都市交響楽団
演目
ヴェーベルン 管弦楽のための5つの小品
ヴェーベルン 大管弦楽のための6つの小品
マーラー 交響曲第7番「夜の歌」
席番
3階RD-1列3番
ticket
 

 Twitterで高関さんのつぶやきを読んで、このコンサートに行くことを決めた。相当譜面を読み込んで演奏会に望むらしい。それにしてもマーラーの交響曲なんて何年ぶりだろう?


 京都コンサートホールは私には音響の印象が悪い。少なくとも舞台から離れると音に靄がかかる気がする。それで最近は舞台サイドの席を選ぶ。今回は3階サイド。音響がどうなるか楽しみでもあり、不安でもあり。


 最初の曲は20名ほどの小編成の曲。と言っても、指揮台の横にハーモニウムとチェレスタが陣取り、さらに周りにヴィブラフォンなどが並んでいる。木管も、金管も、もちろん弦楽器もある。


 この5分ほどの曲は緊張感はそこそこ、それより静けさを大切にした曲という印象。


 この次の「大管弦楽の・・・」はフル編成のオケで、鳴らすところと静かなところの対比が面白い。まあどちらにしても余り聴きなれない曲なので余り突っ込んだ感想は書けない。


 そして、メインイベントのマーラー7番。静かに始めたが、大音量がすごい。やっぱりマーラーやな。高関さんは、思ったとおりしっかり、きっちりとオケを操り、最初から明晰で大変骨格のしっかりした音楽を構成していた。開演前に高関さんが説明したとおり、いろんなチャレンジ精神をみせる音の組み合わせがあって、なるほどと思った。


 この明晰な演奏は最後まで続いて、フィナーレでは大音響を響かせた。特にカウベルを吊った台ごと揺らすなんて奏法は初めて見た。目にも面白い演奏だった。



 だが、私には感動できなかった。一番の要因は、木管の音色だと思う。金管もそれに続く。「私にとって」マーラーの音楽には独特の雰囲気があるような気がする。例えば、ありきたりの言葉で言えば、世紀末の厭世観とか、あの時代の怠惰な雰囲気とか。または、マーラーが年に一回、指揮者としての喧騒やしがらみから逃れて作曲活動に専念したということからも、外部からの隔絶を願っていた、そういう思い。例えば、葬送行進曲がいろんなところで用いられるとか、強い弦のやるせない響きとか。そういう点がマーラーの曲には封じ込められているのかもしれない。


 しかし、今回の演奏にはそういう作曲の背景があまり感じられなかった、弦の強い音には「私の」マーラーの世界があったが、他にはなかった。もしかすると、木管、金管は楽譜どおりに演奏するのに精一杯でそういう「私の」マーラーの音楽に立ち入ることがなかったのかもしれない。または明晰な指揮がそういう点を希釈したとも考えられる。

 また、かつて音楽の流れをぶち切られて、音楽にのめりこめないこともあった。「私にとって」マーラーの音楽には流れも重要な要素であるがそれが今回の演奏では私好みではなかったということもあったのかもしれない。


 いずれにしても、会場は大喝采だったから成功だったのだろう。私には不満があったが、これは単に私の見当はずれの思い込みから来ているのに違いない。でも「私は感動できなかった」という事実は残った。なお、今回の席の音響に不満は全くなかった。ここに来る時はまたサイド席だろう。