マウリツィオ・ポリーニ ピアノリサイタル
平均律クラヴィーア曲集第一巻
私は普段はピアノを聴かない。でも、ポリーニを聴きたくなったのは、今年の秋は聴きたいと思うコンサートが少なかっただけかもしれない。ウィーンフィルも楽しみにしていたマーラー9番がベートーベンに代わってキャンセルしたし。
当日券売り場で空席を見ると、私好みのサイド2階が空いている。しかもピアノの音を聴くにはいい右サイド。それもA席だというのだから即決。
会場は9割ぐらいの入りかな。正面2階は舞台から遠く離れているためかがらがら。それにしても、ピアノのリサイタルでバックステージに人を入れるのってどうなの?音が聴こえないんじゃないかな。
さて、ポリーニが登場して、第一音。透明な音にしびれた。残響の多さでピアノの音がぼやけて聴こえるけれど、だんだんそれも気にならなくなった。バッハとはとても思えない流麗で美しい音色。そして、せつなくて、恋しくて、悲しくて、やるせなくて、はやる心を抑え切れなくて。そういう叙情的音楽が延々と続いた。ほんとにバッハ?ショパンじゃないの???
バッハって、こんなに感情豊だったのかな?もっと堅苦しいものだと思っていた。
極めて強い集中力で前半を終わり、聴く方も真剣そのもの。その緊張感が心地よい。
休憩後、13番から。今度は感情よりも構築的な音楽になり、大胆でスケールが大きくなった。なんとなくベートーベン的。なぜか18番ぐらいから涙が止まらなくなり、金縛りにあったようにポリーニのピアノの輝く一音一音に集中した。そしてクライマックスを迎えた。
最後の音が消え、ポリーニがぐったりするとすぐに拍手。おい、こんな名演ですぐに拍手するなよ。私はしばらく呆然として拍手もできなかった。音楽に圧倒されてしびれた気持ちのいい疲れ。久々にこの感覚をもった。
バッハをチェンバロやフォルテピアノではなく、ピアノで演奏するのは本来の姿とは違うと思っていた。でも、ピアノにはピアノの強い表現力があり、それによって変幻自在に音楽が変わり、一音一音が光り輝き、音楽に新しい息吹を与える。古楽器による演奏も大好きだけれど、こういう質の高いピアノ演奏も宝物のように心に響き渡るものだと知った。
そして、今回の演奏はバッハではあるが、バッハではないような気がする。ポリーニのバッハ、ポリーニの平均律というべきだろう。作曲家の音楽を超越した音楽がポリーニによってつくあげられた。ショパンやベートーベンを感じたのもそのためだろう。いうなればポリーニの人生が今回の演奏にはこめられているような気がする。
こんなすばらしい演奏に触れることができて本当によかったと思う。きっと、一生の宝物になるにちがいない。