びわ湖ホールプロデュースオペラ・ヴェルディ作曲歌劇《椿姫》
アルフレード:フェルナンド・ボルターリ
ジョルジュ・ジェルモン:上江隼人
フローラ:谷口睦
二期会合唱団
歌劇《椿姫》
いや、素晴らしい公演だった。演出も歌もオケも指揮も素晴らしい!これだけいいオペラ公演にはなかなか出会えないと思う。昨年12月の「コジ・ファン・トゥッテ」も凄かったけれど、「椿姫」も大変レベルの高い公演。こんな体験ができるというのは、とっても嬉しい。興奮したよ。公演のあとも興奮を引きずっていて、ヴェルディ節が頭の中を渦巻いていた。
それにしても京都市響と合唱は素晴らしいね。超ハイレベル。歌手もいい。それらをまとめる沼尻さんもすごい。リズムが立って、メロディが明確で、ヴェルディを聴く楽しみに満ちていた。
演出も、最近のびわ湖プロデュースオペラらしく、尖っていて、考える楽しみもいっぱい。歌手も合唱も演出に合わせてしっかりした動きで舞台が引き締まっていた。ほんとに良かった。
以下、舞台の感想。
前奏曲はゆっくり、美しく始まった。いいねえ、最初から弦が泣かせる。前奏曲途中で幕が開き、白い装置の上、パーティの多数の参加者が動かずにいて、その中をヴィオレッタが男性をつれてキスをしたり抱き合ったりして歩き回っていた。前奏曲が終わると同時に全員が動きだし、合唱が始まった。
そこで始まったのは50人ほどの乱交パーティ。レズがいたりホモがいたり、数人で抱き合ったり、靴に入れた酒を飲んだり。そんな中で乾杯の歌が始まる。アルフレードは椅子の上に立つが、靴のまま立つのを拒んで雑誌みたいなものを広げて立つ。対照的にヴィオレッタはハイヒールでテーブルに立ち、そのあと靴を放り出す。生まれの違いが出てるなあ。
乾杯の歌は合唱もアルフレードもヴィオレッタも美しい。最初から音が立って、素晴らしい!
でも、その横で、みんなでバケツにワインやらウィスキーやら怪しい薬やらを入れて、それを(多分)フローラに飲ませ、フローラがストリップを始めていた。その後フローラが複数の男性から枕を叩きつけれていた。なんか嫌な感じだが、これも含めてパーティの楽しみなんだろうな。フローラはMなんだろう。
パーティが乱交パーティで、アルフレ―ドが良家の出だとにおわせるのは、先日のモネの「椿姫」のネット映像を思い出させる。
「花から花へ」はヴィオレッタのとアルフレードの歌が素晴らしくて緊張感が半端ない。それにしてもアルフレードの声は響き渡るねえ。ヴィオレッタは高音を回避して、結構残念だったが、まあ仕方ないかな。
二幕一場。深い青緑のシックな壁、赤い絨毯の上にアンティークな机。右側は下から上までのガラス窓で明るい陽射しがもれる。白目の背広にブーツのアルフレッドに、白めの若干古風なツィード(でいんだよね?)のスーツ。時代が少し古くなった感じ。アンニーナもグレーのスーツ。舞台を横切るようにヒールをカツカツ言わせて、姿勢よく歩く。
ジェルモン・パパも姿勢よく歌う。よく響く歌。ジェルモン・パパがわかれるように懇願するとき、ヴィオレッタはジェルモン・パパの前を横切るようにまっすぐ姿勢よく歩く。これは拒否をにおわせているのかなと思った。
ジェルモン・パパの「プロバンスの海と陸」も朗々としてジーンとくる歌だった。この歌はいつ聴いてもいいね。
二幕二場。フローラのサロンは一幕同様白が基調で、賭博の机がいくつか。右側は壁でサロンと隔絶された場所があった。フローラは賭博の机の上にいて、やっぱり一番堕落している。スペインのお客さんは白黒映画。なるほどこんな手があったか。映像はスペインの牛祭と闘牛場での闘牛。突然、ウェディングドレスの女が現れたら次は男の獲物を狙う目のアップ。そのあと男と女が抱き合う姿。男の目は厳しく、アルフレードの心のうちかもしれない。
そのうち合唱が舞台の左側に下がって整列し、そのまえでアルフレードがヴィオレッタに札束を投げつけると、合唱が凄い迫力で歌いだし、少しずつ前に出てくる。この集団の動かし方はビリャゾンとネトレプコの「椿姫」の合唱の動きを思い出させるものだった。
そして、2幕最後のオケと歌手と合唱が半端なく素晴らしい。ヴェルディ節というのだろうか、たゆたう波のようなうねりが心を沸きたたせる。ヴェルディを聴く、感じる、陶酔する、激情に浸る、そういう痺れるような興奮に包まれた。これぞヴェルディの聴く醍醐味!
三幕。緊張感にあふれた弦が心にしみる。この前奏曲とともに、舞台の真ん中がうっすらと光が当たっている。前奏曲が終わると左側に白い列柱、右側に白い壁。たったそれだけの装置。その真ん中に2人が同じ姿で横になっている。そのうちの一人が立ち上がり歌を歌う。清楚で美しい立ち姿!
ヴィオレッタの三幕の歌は力強くも優しさもあふれていた。指揮もオケも美しい。そして何と言っても舞台の美しさが最高。列柱から白い光、暖かい光、ほのかな光、いろんな光が入れ替わって照らす。わずかな光の違いで雰囲気を変えるなんて。こんな静謐で美しい雰囲気の中でハイレベルな管弦楽と歌が体を貫いて、美しさに体が動かなくなった。
椿の花を最後にアルフレードに渡したあと、舞台右側で一人スポットライトを浴びるヴィオレッタに涙があふれ、この圧倒的な雰囲気のまま終わるのか、と思いきや、舞台の中央に残されたもう一人が、立ち上がりそうになって、力尽きてすぐに倒れた。それと共にアルフレードたちが舞台中央に倒れた人にすがりつく。舞台右側のヴィオレッタは立ったままスポットライトを浴びていた。舞台の照明が消え、ヴィオレッタのスポットライトが消えて幕。
三幕のヴィオレッタはヴィオレッタの夢だったんだ。それはすっごく納得できる。だって、死の間際であんな強い歌を歌えるわけないし、夢が実体化して実体が死んでも夢が残る、それも美しく輝かしい夢。!なんて美しい物語だろう。
一幕の退廃した乱交パーティで始まり、そこから落ち着いた世界に戻り、最後は静謐な空間で浄化される。はかなくも美しい舞台だった。そして安藤さんのヴィオレッタ。彼女の立ち姿はこの美しい舞台をより一層美しいものにしていた。安藤さんのための公演じゃないかと思うほど。
ちょっと他の舞台で見たようなシーンもあったような気もするけど、まあいいか。
歌手では、ヴィオレッタの安藤赴美子さん、アルフレードのフェルナンド・ポルターリ、ジェルモン・パパの上江隼人さんの三人ともレベルが高い。安藤さんは高音を回避したけど二幕の力強さと三幕のはかなさがすばらしい。とはいえ、私のなかで一幕最後の高音は大切なものなので、回避されるとそれだけでテンションがさがってしまうのよね。ポルターリは光り輝くテノール。明るさ全開の歌は気持ちいいね。音程がわずかにずれたような。でも、このぐらいなのにずれると書くのが申し訳ないぐらいのもの。上江さんも不満はない。でももっといい人を聴いているだけに、もう一つ突抜けるものがあってもいいかも。
文句を言いつつも、三人の歌手がこのレベルなら申し分ないと思っている。
合唱は極めて美しい。全員が見事にそろっているし、迫力が半端ない。動きも整然としてだれるところがなく、この辺はびわ湖ならではだと思う。
オケの京都市響はもう最高!痺れたわ。弦のすすり泣き、金管の美しい立ち上がり、日本でこんなにきれいで、緊張感のある音でオペラを聴けること自体ありがたいことだと思う。
そして、沼尻さんの指揮。弛緩したところがなかったわけではなかったけれど、ここぞという場面でのメロディの美しさ、快調なテンポ、引き締まる緊張感、弱音から最強音までエッジの利いた演奏、もう最高だった。二幕最後や三幕最後の緊張感はすごかった。去年の「コジ・ファン・トゥッテ」でも感じたけれど、この人の指揮は一皮むけたんだと思う。そう思うほど、今回の指揮には感激した。
いやあ、本当に良かった。つぎの「ワルキューレ」が楽しみだ。