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長谷川等伯展 「松林図」

 

 京都国立博物館で「長谷川等伯展」を見た。長谷川等伯の代表作「松林図」を見るのは初めてである。


 随分昔、多分学生時代から見たかった絵で、やっと念願かなって見ることができた。でも、長谷川等伯という人の人物像に関しては、狩野永徳と敵対関係にあったことぐらいしか知らない。こんな私は「松林図」さえ見る事ができればいいと思っていた。


 混雑がいやだから夜間拝観のある日の遅い時間に行った。それでも入館に20分待った。


 展覧会を見て、初期の石川時代の力強い筆遣いが大変気に入った。京都時代の初期の水墨画はそれに比べると繊細すぎて、京都の雰囲気に飲み込まれているのかなと思った。秀吉の時代の絢爛豪華な屏風絵はあまり好きではないが、「松に秋草図屏風」の左右で大きく異なる構図は型にとらわれない等伯らしいと思った。


 そして晩年、水墨画に戻ると新しい境地が開けてくる。力強い筆遣いとやわらかさが合わさって、絵にこれまでにない広がりが感じられる。「蜆子猪頭図襖」には、薄い極めて単純な構図にかかわらず、宇宙への広がりさえ感じられ巨大なイメージを想起させる。


 そして最後に「松林図」である。これまで見てきた絵が吹っ飛んでしまった。絵としてはあまりに世界が大きすぎて一つの絵としてとても見ることができない。言葉も見つからない。ただ、絵に浸るのみである。


 会場は人で一杯で、離れてみると全体が見えず上の方が見えるだけあるが、それでも、その凄さ、大きさが分かる。これは、絶対に人が少なくなって全体を俯瞰するまで帰ることはできないと思った。絵の中央から3mほど離れて、ずっと立ち続け、人が視界から消えるのを只管待った。閉館時間過ぎても待ち続けた。これまでの美術館では閉館時間になると強制的に排除されたが、ここはそうでないことがありがたかった。


 そして、閉館時間から20分後、「松林図」の全貌を俯瞰することができるようになった。呆然とした。霧の中の竹林とその配置と墨の濃淡。霧に隠れた松の根元が再び見え、この松は前にあることが分かる。でもそういう細かいことはいい。全体を見ているとこの絵の中で全てが完結している。大変大きな世界である。一つの宇宙がこの絵の中に凝縮されている。


 長谷川等伯という天才画伯の全人生をかけてたどり着いた境地がこの絵には表現されていると感じた。私はこんな境地にたどり着けるのだろうか?
(2010.05.04)