パリ国立オペラ来日公演
《消えた男の日記》《青ひげ公の城》 3/3
オケはすごい機動力を発揮し、領地の鍵を開けると、すさまじい音響で、これでもかとひたすら強くさわやかな音を響き渡らせる。かと思うと、涙の池の鍵を開けると、悲しい雰囲気に包まれる。そして最後、すさまじいオケの絶叫の後、ユディットは舞台奥の第7の部屋へ入っていきます。
オケの音は、以前、飯守泰次郎さんの指揮で聞いたときの、さわやかでかっちりした音楽とはまったく違う、ねっとりとした音響。これは、舞台や物語にとてもぴったりとはまっていると思いました。また、総括で示す「泥沼の愛」をも表現しているものと思いました。
舞台が抽象的だっただけ、余計に舞台を大きく揺さぶる オーケストラの力を見せ付けられた舞台でした。
結局、歌も、舞台も、そしてなんと言ってもオケのすばらしさも十分堪能できたすばらしい公演でした。やっぱりパリオペラ座の実力はすごい。
#とはいえ、バスチューユで見る気はあまりしないですけどね。
最後に、この二つの演目を一夜に上演したことを総括すると、どちらも「泥沼の愛」にはまり込んでいく様を描き、前者は男性、後者は女性のあり方を示したのだと思いました。
《消えた男の日記》では男が自らの意思で娼婦との「泥沼の愛」を選んで娼婦を追っていく。一方、《青ひげ公の城》では、ユディットは青ひげ公に導かれるまま、第7の部屋に入っていく。男性は自ら「泥沼の愛」を選び、女性は男性により導かれていく。言われてみれば、「マノンレスコー」では、デ・グリューは自ら アメリカ行きの船に乗って、マノンとの限られた愛を選び、 「トスカ」では、トスカはスカルピアにだまされて、 カバラドッシは死に、自らも自殺する。
#「トスカ」はちょっと無理があるかな・・・
「泥沼の愛」のあり方の、男女の違いは万国共通なのでしょうか? なにか、そういうものを見せられたような気がしました。どちらにしても、男と女の愛を堪能した公演でした。