1986年の中国旅行 2/11
次は、航空会社に帰りの飛行機を予約しに行った。
日本を代表する航空会社の上海支店は、開店一周年で、え、こんなところ?と思えるような、古い民家の2階にあった。庭から子供の泣き声が聞こえ、こどもが走り回っていた。それでも、ちゃんと発券できた。一周年記念で、エプロンをもらった。ちなみに、この時期の中国は、中国の航空会社でも日本の航空会社でも運賃は同じだった。中国政府が規制していたためだろう。
2.上海観光
そのあとは、歩いて上海の街並みを歩いた。いろんなところで、古い、戦前から続くアパートをみたが、今はもうないんだろうなあ。
その日の晩飯は、同室の皆で四川飯店に行った。有名な高級中華料理店である。でも腹いっぱい食べても、数百円ですんだ。当時、物価は日本の1/20といわれていた。500円出せば日本の1万円と同じような価値があるということだ。それは食べ物で特に顕著であった。
翌日は揚子江を見に行った。上海中心部からバスで1時間。古い農村風情を味わい、揚子江の川岸に行った。川の向こうに陸地が見えるが、これは中州の島である。でも揚子江の大きさを十分に味わってきた。
3.パスポート紛失
さて、翌日、中国国営旅行社で西域への切符を買い、上海を出る準備が整った。どこまで行くかは決めてないが、とりあえず青海省の西寧までは行くことにした。上海から47時間である。ホテルをチェックアウトして、上海で最後の晩飯を食べて、いざ駅へ
でも駅に着くと雰囲気が違う。放送のたびに周りの人は大騒ぎをしている。いったい何が起っているのか見当も付かないので、周りの人に筆談で聞いてみると、列車が北京付近の大雪で遅れているらしい。より詳しい情報がほしかったので、さらに聞くと、
「君の名前は何だ、どこから来た?」
「○○○○です。日本から来ました。」
「じゃあ、パスポートを持って、中国国営旅行社に行って状況を教えてもらってきなさい。」
と老人に言われて、パスポートを探すと、これが見つからない。さすがにあせってしまって、駅で切符を払い戻したあと、上海駅の中国国営旅行社に行き、事情を話すとまず、
「どこかこころあたりはないのか?」
「船のチケットを払い戻したところでしょうか?」
「じゃあそこに電話して聞いてみなさい。」
と黒電話を渡された。メモの名から電話番号を見つけ電話してみたが、私の英語力では電話では相手に通じないようだ。中国国営旅行社の人に
「わからなかった。」
「それではどこかに宿泊してください。」
「パスポートがないと泊めてもらえない。」
「今までどこに泊まっていたのか?」
「浦江飯店です。」
「ではそこに行きなさい。今パスポートがなくても泊めてもらえる。」
駅を後にして早速浦江飯店に戻った。