1986年の中国旅行 3/11
浦江飯店では、空室待ちをしている人がいたが、私が
「パスポートをなくしたから泊めて欲しい。」
とお願いするとあっさりとOKが出た。手続きをしている間、空室待ちをしている人も、宿泊OKが出た。早速部屋に入って、なんとか落ち着いた。次は何をするかである。残念なことに翌日は日曜日であり、何も出来ない。月曜日に日本総領事館に行って再入国の手続きを教えてもらい、中国公安室に行ってパスポートの届出がないか確認することにした。あとは、パスポートを出したのは、船のチケットを無効にしてもらったときと、飛行機のチケット買った時だったので、まず、船のチケットの会社に行くことを決めた。
翌日の日曜日は上海マラソンだった。通りにたくさんの人が出て応援していた。私はそれをホテルの窓から見ていた。結局ホテルからは夕食以外外には出なかった。
翌日、まず日本総領事館に行った。パスポートを求められたが、ないので、
「盗まれたから来た」
と言って、なんとか入れてもらった。応接室のような場所に通され、事務官らしき人が対応してくれた。
「パスポートをなくしたそうですが」
「はい、上海に来て、上海を出る直前にパスポートがないことに気づきました」
「どこになくしたか心当たりはないのですか」
「それはこれからいろいろあたった見ようと思うのですが、それよりまず、帰国にどういう手続きが必要なのか知りたいと思って来ました。」
「あなたのような人がいるからわれわれの仕事が増えるんだよ。パスポートはとても大切なものなのだからなくさないように細心の注意を払ってもらわないと困る。」
「どうもすみません。」
「しっかり反省してください。」
「はい。」
「帰国の手続きですが、まず写真を用意してください。そして、一週間前までに、書類を提出してもらいます。それは後日渡します。滞在しているホテルと帰国日を教えてください」
「ホテルは浦江飯店で、帰国は4週間後です。」
「その間はずっと上海にいるよね?」
「そうじゃないとだめですか?」
「当たり前だろう。上海でおとなしくしていてくれ。」
以上で、話は終わり。私の名前などは聞いてもらえなかった。高圧的で、上から見る態度に強い不快感を持った。でも、パスポートをなくした私が悪いので我慢するしかなかった。