1986年の中国旅行 4/11
次に中国公安局に行って、遺失物の届出がなされてないか確認した。結果、何も出てないことが確認された。次は、船の事務所に行った。上海マンションと言われる大きな高級ホテルの一室にその事務所はあった。出てきた人は笑顔をたたえ、用事は何かを尋ねた。パスポートをなくした旨を話し、ここにわすれたかどうか、確認した。すると、
「大丈夫、窓口においてあるから、そこに行ってみてくれ。」
と言われ、ちょっと安心した。そして、少し離れたビルの2階にある船の窓口に行くと、部屋に入ったとたん、窓口氏が私を指差し
「おお、この顔だ。」
と言っている。私のパスポートはここの金庫に保管されていたのだ。公安局に届けたりはしないらしい。それはともかく、やっとのことでパスポートがこの手に戻ってきた。これまでの緊張がどっと解けた。
4.兌換券交換詐欺
そして、うきうきして歩いていると、一人の誠実そうな漢民族の青年に声をかけられた。いろいろ話をしているうち、西域への列車の切符を取ってくれると言う。それで予約切符売り場に行くと、最初は満席と言っていたのが、切符が取れたと私に渡してくれた。そのあと喫茶店に連れて行かれ、
「人民元を兌換券に交換してもらえないだろか」
と言われた。この人の目的はこれだった。
仕方がないので、手持ちのうちいくらか1:1で交換した。当時の中国には、外貨から両替した外貨兌換券とそうではない人民元の2つの通貨が流通していた。公的には同じ価値といわれていたが、輸入品など外貨兌換券でないと入手できないものが多数あった。
それで、ウィグル人などが「チェンジマネー?」といって両替をしてくれと声をかけられる。だいたい、1.3:1ぐらいで外貨兌換券を人民元に交換してくれる。もちろん交換に応じたところを公安に見られると逮捕される非合法な行為ではある。
この人は安く外貨兌換券を入手するために、親切にしてくれたのである。喫茶店から出て、それでは、と一人になってホテルに戻った。これ以上かかわりを持つのは危険だと判断したからである。本当は、一緒に喫茶店に入ること自体、何をされるかわからない大変危険な行為だったが、当時の私にはそこまでの危機管理ができてなかった。
とはいえ、鉄道チケットも手に入ったので、あとは出発日まで2日。それまで上海を楽しむことにした。