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1986年の中国旅行 5/11

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5.上海から西寧へ


 上海出発日の夜、駅の待合室の西寧行きの列車の行列はたくさんの人であふれていた。何かの放送があって、列がホームになだれうつように動いていった。それに遅れまいと、必死で付いていって、自分の席にたどり着いた。しかし、そこには他の人が座っていた。


 どうなっているのか分からず、どうしていいのかわらず、座っている相手に私の切符を見せると、座っている人が立って、私の手を持って車掌のところに連れて行った。結局、私は切符どおりの席に座ることになり、元の席の人はどこかに行ってしまった。


 私の切符はもしかすると偽造だったのかもしれないが、自分の席に着けた。元に座っていた人は寝台車にでも移してもらったのだろうか?


 私の席は3人がけの真ん中の席だった。これで47時間座りっぱなしである。列車は始発の上海駅で満員。荷物も網だな一杯に積み上げられ、荷物の量を測る係員が途中駅から乗ってきて、重さを量り、必要な料金を取っていた。この列車は上海からは蘭州以遠に行く客しか乗ってないはずだから、この満員状態が解消されるのは45時間後になる。とにかく今は寝よう。と気がつくと、徐州だった。夜も明けていた。


 車窓


 列車の中はさらに人が増えて、通路も一杯になっていた。途中駅から乗ってきたのだろう。周りの人の行動を見ていると、ひまわりの種を食べては床にからを捨てていたり、タバコを回し飲みしたり、両切りのタバコでもうすぐ終わりのタバコに新しいタバコを継ぎ足して吸殻だけ床に落としている人がいたり。鳥の丸焼きやジュースを売りに歩き回ったり、いろんな人がいた。物を売っている人は多分無許可で勝手にしているのだろう。


 私朝ごはんと昼ごはん用に鳥の丸焼きを1つ買った。これが結構うまいのでびっくりする。で骨などのごみも床に捨てる。床はごみで一杯である。昼過ぎにやっと掃除に来た。でも、ゴミ袋もなくちりとりを持っているだけである。ちりとりでごみを集めて窓を開け、窓から外に捨てるのだ。確かにこれならゴミ袋は要らないが、沿線はごみの山だろう。他に食べたのは、食堂車が売りに来るいわゆるぶっかけ飯で、ご飯の上に煮豚が載っているものと、食堂車で野菜ラーメンである。どれも大変うまかった。


 次の晩がやってきた。私も疲れて大変である。横になれず、垂直座席の真ん中は大変つらい。あまりねむれずに朝を迎えた。窓の外は荒涼とした台地が広がっていた。緑はどこにも見つけることができなかった。駅に止まった。そこは「天水」と書かれていた。「蘭州」はもうすぐだ。


 「蘭州」で結構人が降りて、立ち客はいなくなり座席にも余裕ができた。後もう少しで目的地の「西寧」である。「蘭州」から蒸気機関車になったようで、煙が目に染みる。


 「西寧」に着いたのは、20時ごろである。駅前はタクシーが一杯あった。ここで外国人が泊まれる宿は決まっているので、その宿西寧飯店に向かった。西寧飯店は表は立派だが、私の部屋は汚かった。ここも相部屋である。シャワーで列車の汚れを落として、むさぼるように眠った。  

 
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