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1986年の中国旅行 7/11

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 西寧に着いて4日目、街中を歩き回った。ここは街角のいたるところで売っている国営工場のヨーグルトがひときわうまい。売っているのを見かけるたびにヨーグルトを食べた。


西寧市街


6.ゴルムドへ


 でも、そろそろ次にどこ行くかを明確にしなければならない。蘭州からウルムチを目指すか、このままゴルムドに行ってラサにいくか。とにかく、ゴルムドに行こうと思い、駅で切符を買った。窓口では寝台車は満席と言われたので、「地球の歩き方」に書いてあった手段を使った。「外国人料金ではなくて人民料金なら一等寝台でもいいよ」と言ってみることだ。これは結構簡単にOKが出た。この時代には鉄道料金に外国人料金と言うものが存在し、外国人料金はほぼ2倍だった。人民料金なら一等寝台でも、外国人料金の二等寝台よりも安い。


 西寧を立つ日が来るまでは、街中をぶらつく日が続いた。街角で売っているヨーグルトがとても美味しい。また、市街の南に山があり、その断崖に寺院があった。そこに上り、洞穴にある仏像を拝んだ。ここからは西寧駅がひろがり、鉄道写真を撮るのも絶好のロケーションだった。


 さて、西寧を立つ日が来た。夕方に出るの急行である。といって、西寧~ゴルムド間は急行と鈍行が1日1往復しかない。急行は、結構込んでいて、一等寝台もほとんど埋まっていた。私は4人用コンパートメントの上段だったが、他の3席は全員軍人だった。


 一等寝台はほとんど軍人が占めていた。チベット族の鎮圧のために軍を増強しているのだろうか?といっても、皆、カップめんに肉の佃煮のようなものを載せて夕飯にしていた。当時の生活状況は軍の上層部でも変わらないのかもしれない。


 夜が明けると、荒涼な大地がひろがっていた。山には木は生えていた。鉄道の車窓から見る緑は久しぶりだ。そのうち、塩湖地帯を走り出した。こんなぬかるんだ場所によく鉄道を通したなと思った。線路両側は、車内から出たごみが散乱していた。ここまできてもやることは同じだ。同じコンパートメントの軍人が、飲んだビール瓶を地面にたたきつけるように放り投げていたのが強く印象に残っている。


 列車はすごくゆっくり走っていたが、昼過ぎにやっとのことでゴルムドに着いた。周りを見ても何もない町である。とりあえず駅前の省政府招待所に宿泊の手続きを取った。ここには、同じ列車で来たドイツ人も来たが、ドイツと言っても通じない。中国語でドイツは「徳国」である。横から、私が紙に書いて窓口に出した。このドイツ人は、倹約家である。私が宿泊費を外貨兌換券で出したら、「なんてことをするんだ、大損じゃないか」と言われた。そしてしばらく小言は続いた。ゴルムドの街中で見たときは、どこでも値切っていた。ドイツ人って、こんな民族なんですかね?

 
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