1986年の中国旅行 8/11
7.ラサへ
ゴルムドに着いて周囲を歩いて回ったが、砂漠の真ん中の交通の要衝というだけで、特に見て回るような場所はなかった。次はどこに行くか、それを決めないといけない。選択肢は以下。
1.ラサまでバスで行く。
2.来た道を戻り西安に行く。
3.トルファンまでバスで行く。
1.が一番面白そうだが、ラサに行くには5300mの峠を越えないといけない。2.はもう戻るのはいやだ。3.はバスが少ないのと、砂漠を何十時間も走る。5300mの峠を選ぶか、砂漠を選ぶかであるが、ゴルムドにいる旅行者はラサに行ったか行くかの人ばかりである。ラサの情報だけが集まる。ラサは標高は高いが暖かいとか、ポラタ宮はたいへんきれいだとか。確かにラサは旅行者の憧れである。ここはひとつラサまで頑張っていってみるか。
それでゴルムドで情報を集めると、途中は寒くてたまらないから、防寒を徹底していくこと、バスは数種類あり、中国製のバスは安いが、時間がかかること、日本製バスは早いため途中夜間宿泊があること。ただ、夜間は休めるけれど高山病で眠れないことも言われた。
まずバス会社を決めようと、日本製三菱バスの会社に行ってみた。そこでは外国人と分かると、外国人料金を請求することが分かった。それで中国製バス会社にした。
次は、防寒対策である。まず、帽子を買った。羊皮の帽子である。ちょっと大きいが防寒性は高いだろう。次に、人民軍用のコートを買った。綿入りで大きなコートである。内側に羊の皮が張ってある高級品もあったが、手がとどかなかった。まあ、今着ている冬山用ジャンバーに人民軍コートを着たら大丈夫だろう。足元はもともと分厚い靴下に、登山用の靴なので、補強は不要と判断した。
この防寒対策をした状態で、バス乗り場に行った。一旦全員座ったが、番号が会わないようで、一度全員外に出して、席を配置しなおした。最初は窓際ではなかったが、2回目には窓際になった。どちらも最後尾なので、ゆれは覚悟しなければならない。2回目の状態でバスは動き出してラサに向かった。 最初は順調だった。ゴルムドの砂漠を南に向いて走った。そして山に差し掛かると、とたんに遅くなった。歩くような速さで必死に走る。まるで、25‰の勾配を上るキハ28のようである。これは、日本製のバスならスーと走っていくのだろうな。実際その通り、途中で日本製バスに何台も抜かれた。遅く出て、途中に睡眠休憩があり、早く着く。日本製バスにすればよかったかな、と思った。