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1986年の中国旅行 9/11

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 このバスは28時間走り続けるのだが、トイレの問題があった。これは、草むらのあるところで誰かが手を挙げて、バスを止めて用を足すのだった。私も誰かが手を挙げた時に一緒に外に出て用を足した。


 高原に入って回りの山が雪で白くなり、さらに高度が上がってくると地面にも雪が現れた。大体4500mの高度を走るので、雪も当たり前だろう。夕闇とともに高度をどんどん上げてゆく。そして夜になり、寒さで凍りつきそうになった。夜に標高が最も高い場所を走るので、これだけ防寒の準備をしていても、足元から凍ってしまいそうな感覚で、眠るどころではなかった。何とかしてくれ!と泣きそうになりながら耐えていると、気がつくと夜が明けていた。小さな町だが、ここで朝食休憩をとるようだ。


 と思っていたら、バスから降ろされ、バスは修理工場へ入っていた。どうやら、前右側の車輪がおかしくなったようで、車輪を転がしていた。この修理は思ったより長くかかり、4時間遅れることになった。


 バスが再び走りだすと、それからは高度は高いが、少なくとも平原に雪はなく、暖かく感じた。随所でヤクや羊が放牧されていた。チベット族の民家も見えるようになった。


 夕方になり、ゴツゴツした道を高原から一気に坂を駆け下った。すごい揺れ。1時間ぐらい経ったあと、遠くにポタラ宮がみえた。神々しくて感激した。それからラサ市街まで2時間ぐらいかかり、バスを降りた時には真っ暗になっていた。


 さすがにこれでは宿を見つけられない。近くの売店で宿を教えてもらい、真っ暗闇の中、宿まで連れて行ってもらった。


 ラサで最初に泊まったのは中国国営招待所である。外国人だけを集めた大部屋に案内された。自己紹介もそこそこに、ベッドに横になりむさぼるように眠った。


8.ラサ


 翌日は、晴天だった。暖かくて、これまで寒くて凍えるようだったのがうそのように思えた。高度が高くても、南になるからだろう。もっとも、これもゴルムドで仕入れた情報に入っていたが、半信半疑だった。


 さて、今日は宿探しから始めた。その招待所はどうも感じが悪くて、できればチベット族の経営している宿に泊まりたかった。その情報もゴルムドで入手済みである。


 まず、スノーランドと呼ばれていた雪園飯店に行った。ここでとめてもらえるそうなので、ここにした。雰囲気は明るく、相部屋だが気持ちよく過ごせた。ここには、飛行機で直接来て、高山病で動けない人が大半だった。


スノーランド


 私は、青海湖で高山病にかかったが、それ以降高度が高くても大丈夫になった。荷物を片付けたらまずはポタラ宮を見に行った。下から眺めるポタラ宮は白い壁と青空が対照的で、きわめて美しく、すばらしい建築だと思った。


ポタラ宮

 
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