ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルグ交響楽団 兵庫県立芸術文化センター モーツァルト ブルックナー:KINUZABU-Music
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ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルグ交響楽団演奏会

日時
2012年11月11日(日)14:00~16:00
会場
兵庫県立芸術文化センター
 
 
指揮
ヘルベルト・ブロムシュテット
Pf.
ピョートル・アンデルシェフスキ
管弦楽
バンベルグ交響楽団
 
 
曲目
モーツァルト作曲
 ピアノ協奏曲第17番
ブルックナー作曲
 交響曲第4番
パンフレット
 

西宮北口の兵庫県立芸術文化センターで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルグ交響楽団のコンサートを聴いた。

前半のモーツァルト、流麗、優美、爽快で、モーツァルトの音楽の美しさを存分に味わえた秀演。これぞモーツァルトという感じか。こんな理想的なモーツァルトは聴きたくてもなかなか聴けるものじゃない。ピアノも十分。少なくとも、ブロムシュテットの指揮に合わせて、楽しく弾いていたと思うし、実際よくマッチしていた。

ピアノはアンコールがあったが、こちらも流麗で美しかった。でもアンコールにしては長くないか?

休憩後、ブルックナー。第1楽章は、弦はバラバラ、金管も何も考えずに咆哮しまくり。バランスは最悪だし、なによりオケとしてのまとまりが全くない。ブロムシュテットの指揮も散漫で退屈で全く面白くなかった。こんなはずではないと思っていたら、第2楽章からましになった。

第2楽章からは、金管と弦の音のバランスをしっかり取って、弦の音もまとまり、やっと音楽として聴けるようになった。それでも散漫さは散見される。とはいえ音楽自体は悪くないし、この程度なら満足できるというレベルにはなった。

ブロムシュテットの音楽は第2楽章以降は雄大で音の強弱を生かし、このような曲になった意味を改めて実感した。ブルックナーを聴く醍醐味を味わった。でも、ときどき、リズムに節をつけるようなところがあって、そういうところが、私がこの人が振るブルックナーに違和感を持つ理由なのかもしれない。まあ、そんなところはお尻を振りながらのりのりで指揮をするので、85歳でも楽しく音楽に没頭できるのはうらやましいと思った。

第3楽章も第4楽章も、バシバシ締めこむのではなく、おおらかなオケの音を楽しんでいたのだが、大詰めの第4楽章のコーダになって、全く別物の音に変わった。極めて緊張感の高い音の塊が襲い、音の隙間が全くなくなり、クライマックスに向けて地響きのように進む。そして、大音響になるが、音楽の美しさが溢れ出す。こうなってくると、体が硬直して動けなくなり、ブルックナーの幸せな時間を存分に味わった。この時間が永遠に続いてほしいと思った。

そして、ブロムシュテットが指揮棒を天に向けて差し上げて音が消えた。しばらく無音が、と思ったらブラボウがでて、拍手喝采。ブロムシュテットは最初のブラボウで振り返り、拍手を抑えようと思ったのか、腰を曲げて手を下に向けたけれど、拍手の大きさに諦めたのか、すぐにコンマスと握手をした。私ももう少し余韻を楽しんでいたかったなあ。

ところで、この公演では、前半のモーツァルトとピアノのアンコール中に高周波音がずっと鳴っていた。これが噂の補聴器の共鳴音か、と思った。私は、そんなに気にせずに聴くことができたが、そうでなかった人も多かったようだ。

後半が始まる直前、ホールのジェネラルマネージャー氏が現れ、高周波音で迷惑をかけたことを謝罪した。ホール側では電子機器を使ってないこと、演奏中にのみ音が聞こえたこと、などから原因がわからないので、今ここで高周波音が聞こえてないことを確認したうえで後半の演奏を始めたい、というようなことを言った。後半は長い曲で演奏を途中で止めることもできないので、今確認したい、ということだった。で、会場は静かになったが、静かになるたびに誰かが何かを叫び、完全に静かになることはなかった。

しかし、その間高周波音は聞こえなかったので、大丈夫と判断したのだろう。ジェネラルマネージャー氏はバックヤードに消え、楽団員がステージに現れた。

とまあこんなことがあったのだが、その時は私には無関係のことだと思ったので、何も気にしなかった。だが、もしあの時、高周波音を出していた人が見つかったら、その人はさらし者だったろう。また、私の近くにそんな人がいたら、私も非難の目を受けていたかもしれない。そう思と、ぞっとした。高周波音は迷惑ではあるが、発生源を見つける行為は犯人探しだ。個人としてそれをするのはしかたないとしても、ホールとして犯人捜しをするのは行きすぎだと思う。ホールでこんなことをしたというのを私は寡聞にして知らない。

気持ちよく聴きたいというのはわかるのだが、本来、近くの人が知らせてあげるべきものだろう。それがなされないのであれば、そういう音を許容するしかない。スーパーの袋のガサガサも、飴玉の袋を破る音も、貧乏ゆすりも、鼻息も、同じレベルだろう。ほかの人がしていることは気になるが、自分がしていることはわからないものだ。知らないうちに自分が加害者になる。そういうことを分かったうえで、しっかり対処を取ることが求めれるのだと思う。それが、よい聴衆として自らよいコンサートを作り上げる方法なのだろう。

まあ、いろんなことがあったが、それなりに楽しめたコンサートではあった。でももう少し、頑張ってほしかったというのが本音ではある。バイエルン放送交響楽団の演奏会に期待したい。